ゴールドフィンガー

あいも変わらず007を見る。1964年公開の映画第3作。

以前の投稿で、シリーズを通しての共通が実はあるんだなーと書いたけど、今作には全くなかった。スペクター出てこないし。

ちょっとミステリっぽい雰囲気を出そうとしてるのかなっていう部分もちらほら。
とは言え、どうにも物語のつくりとして雑な気がする。秘密兵器が凄く豪華になってるとか、そういうのはあるんだけどプッシー・ガロアの心変わりへの流れとか、ギャングたちは話だけ聞かされて殺されたのは何故かとか。原作にあるから描写にはいれたというだけなのではないかと思わせられるようなシーンが多すぎる。

そういう映画じゃないことは分かるんだけど、なんだかなー。

あと最後のゴールドフィンガーの死ぬシーンはほぼギャグですね。

それはそうと、そろそろせめて2000年以降の映画を見たいけど、何がいいんでしょうね

シンドバッド黄金の航海

三日坊主にならなかったぞ!

ということでレイ・ハリーハウゼンのシンドバッド3部作の第2作。1974年公開。

僕は映画をほとんど見ない人間なのだけど、この作品は結構好きで、見るのも4、5回目だとおもう。カーリーとのチャンチャンばらばらや、最後の一つ目の怪物との戦いなんかは超有名ですね。

しかし50年代、60年代の映画をつづけて見たせいか、74年って凄く新しく感じる。というか2作目だってことをはじめて知った。一作目の「七回目の航海」が58年らしいから、随分あいだのあいた続編でもあったのだなぁ……

何度も見ているとはいえ、前回に見てからもう随分経つので(たぶん10年以上前だろう)、以前は気にしなかったような部分を感じれるようになったように思う。それは僕の新しい人間関係に起因する部分が大きいので割愛するけれど、そういうのをおいくとすると最も強く感じるのはやはりチープさゆえのリアリティだろうか。

10年前でも十分にそうだったけど、CG技術の進歩は凄まじいものがある。恐ろしいことにマトリックスがすでに16年前なので、10年じゃすまないのだけど、最近だとフル3DCGでも本当に(かのFF3D映画以上に)実写と変わらないレベルで、しかしそれを普通に受け入れてしまっている。
ただリアルがゆえに微妙な差異が気になってしまい、そこに偽モノくささをいつも感じるんだけど、こういうストップモーションはチープがゆえに違和感を振り切ってしまう。カクカクした動きも、それを異質なものとして際立たせる一助にすらなっているように思える。

そうやってどうしても特撮部分に注目しちゃうんだけど、物語としても結構好きで、何でかって言うと、物語としてシンプルだし、冒険活劇として見てただしいカタチを持ってるなっていうのがある。メインの流れの裏で、ハロウンの成長の物語になっているのもいいよね。

海底2万マイル

見た。ジュール・ヴェルヌ原作、1954年公開。原作は1870年の作。

むかし子供のころに見た記憶が合ったんだけど、どうやら別作品だったようだ。もしかすると、ポセイドン・アドベンチャーかな。
映像は美しく、とても60年以上前の映画とは思えない。

原作小説は既読。だったはず。多分小学生か中学生くらいの頃だったと思うので全く記憶にはないけれど……

ヴェルヌの小説全般に言えることだけど、科学考察がすごく確りしているという特徴があり、小説の発表当時は空想科学であったものが、現代では科学になっているものが多々ある。

これに関しても原作発表当時は完全なSFであっただろうものが、映画公開時には凄く近づき、現在となっては純粋な科学映画としてすらみることが出来るんじゃないだろうか。作品としてのSF的要素のもっとも大きな点はノーチラス号の動力だろうと思うけど、恐らくこれは原子力を予示したものだろう。

実際、この映画が公開された翌年には米海軍が史上初の原子力潜水艦、その名も「ノーチラス」を完成させている。

恐らくこの映画におけるもっとも重要なシーンは、ネモ艦長がその死の間際に話す、
「未来にも希望はある。世界中の人々が、私の発明したものを正しく使う日が来るはず」
という箇所だろうか。

はじめて核が使用された第二次世界大戦から10年もたっていない時代の作品ということもあるのだろう。
しかし戦後70年、この映画が公開されてより61年。
冷戦の収束からも四半世紀余りがたち、世界が滅びるリスクは確かに減っているとはいえ、本当に「世界中の人が正しく」使えているのだろうか。

ロシアより愛をこめて

昨日につづけて007、シリーズ2作目。1963年公開。
今作も主演はショーン・コネリー。オープニングがエロい。

オープニングでドクターノオの復讐、見たいなことをいってたけど、原作小説としてはドクターノオより前の作品なんだなってことを、いまWikipediaを見て知りました。

実は僕、007シリーズって作品間のつながりってほとんどないと勝手に思い込んでいたんだけど、昭和ライダー程度にはあるんだなって事をはじめて知った。
ただドクターノオ見てないとスペクターという言葉が唐突過ぎて、それが何なのかよく分からないんじゃないかなーとも。
いまからするとそうでもないかも知れないけど、当時の人からすると、ね。

昨日はドクターノオを見た感想で凄くシンプルに感じたと書いたけど、それからすると物語の流れもギミックも随分洗練されたなーと感じた。冷戦を下敷きにおいた三つ巴の争い。特にグランドの動きなんかはずいぶん不気味に感じさせるものがあった。

007といえば秘密兵器なイメージがあったんだけど、それの登場も近作からなのか。とはいえ、僕のわずかな記憶のなかにあるようなSFじみたものでなく、当時でも十分実現できたのではないかと思えるような牧歌的なものだけど。

そしてボンドガール。ドクターノオでは中盤まであっちいってこっちいってな感じだったけど、今作ではヒーロー、ヒロインの構造が物語のごく始まりの部分ではっきりと作られている。僕の007に対するイメージが正しいのであれば、2作目の時点で007のギミックの根幹が完成したのではないだろうかと思える。

しかしタチアナは凄い美人だね。どことなくハーフタレントのローラに似てるかも。
目鼻立ちがハッキリしてるからそう見えるだけだろうか。

ドクター・ノオ

出来るだけベタなやつをどんどん見ていこうという作戦。
多分見たことあるはずなんだけど、全く覚えてない。
ところどころ、なんか見たことあるような気がするシーンが。

007シリーズ映画化第一作目、原作小説としては6作目、らしい。
1962年公開、ボンド役はショーン・コネリー。
年数と合わせると、こんな実はこんなふるい俳優だったのか!みたいな変な驚きがある。映画を良く見るような人からすると、当たり前のことなのかもしれないけど……若い頃の映像の方が良く見てるからなんだろうか。

パッとした感じたことといえば全体としてシンプルなこと。
ストーリーの流れやギミック、登場するガジェット、登場人物のキャラクター、どれもシンプル。敵なのか味方なのかもすごく分かりやすい。ホテルのフロントのねーちゃんが怪しい表情したのだけは、良く分からなかったけど。
このシンプルさは時代から来てるものなのだろうか。今後いろいろ見ていけば気付くこともあるかもしれない。
しかしこのストーリー、現代だからこそわかるヤバさがある。ロケットは飛んでも、爆発させたりしたら放射能汚染でそれどころじゃなくなるぞ。

それにしてもこれ、50年以上前の作品だけど、映像にしても音声にしても、まったく気にならんもんだね。カラーだし。もっとずっと見難いイメージを持ってたんだけど。

映画を見ることにした

いぜんから思っていたけれど、どうにも僕には文化がたりない。かつては小説もよく読んだほうだったと思うし、比較的音楽も聴くほうだと思う。漫画やゲームだって好きだし、時には美術館や博物館にも行くし、神社で手を合わせるのも好きだ。

だけど、友達や会社の人なんかと話していると、全く会話についていけないことが、非常に良くある。読んでいて当然のような、聴いていて当然のような、知っていて当然のような……
そういうものを僕は知らない、ように思える。

コアなものなら、なおさら分からない。
なぜ君はそんなにいろんなバンドを知っているんだ?

ともあれ、ひとまず映画を見ようかと思う。出来るだけ毎日。
もともと映画は全く見なかったからいちばん足りない部分だし、レンタルで旧作をみるならお金もそんなにかからない。

そういうわけで、ちょうどいいところだと思うんだよね。