ゴールドフィンガー

あいも変わらず007を見る。1964年公開の映画第3作。

以前の投稿で、シリーズを通しての共通が実はあるんだなーと書いたけど、今作には全くなかった。スペクター出てこないし。

ちょっとミステリっぽい雰囲気を出そうとしてるのかなっていう部分もちらほら。
とは言え、どうにも物語のつくりとして雑な気がする。秘密兵器が凄く豪華になってるとか、そういうのはあるんだけどプッシー・ガロアの心変わりへの流れとか、ギャングたちは話だけ聞かされて殺されたのは何故かとか。原作にあるから描写にはいれたというだけなのではないかと思わせられるようなシーンが多すぎる。

そういう映画じゃないことは分かるんだけど、なんだかなー。

あと最後のゴールドフィンガーの死ぬシーンはほぼギャグですね。

それはそうと、そろそろせめて2000年以降の映画を見たいけど、何がいいんでしょうね

ロシアより愛をこめて

昨日につづけて007、シリーズ2作目。1963年公開。
今作も主演はショーン・コネリー。オープニングがエロい。

オープニングでドクターノオの復讐、見たいなことをいってたけど、原作小説としてはドクターノオより前の作品なんだなってことを、いまWikipediaを見て知りました。

実は僕、007シリーズって作品間のつながりってほとんどないと勝手に思い込んでいたんだけど、昭和ライダー程度にはあるんだなって事をはじめて知った。
ただドクターノオ見てないとスペクターという言葉が唐突過ぎて、それが何なのかよく分からないんじゃないかなーとも。
いまからするとそうでもないかも知れないけど、当時の人からすると、ね。

昨日はドクターノオを見た感想で凄くシンプルに感じたと書いたけど、それからすると物語の流れもギミックも随分洗練されたなーと感じた。冷戦を下敷きにおいた三つ巴の争い。特にグランドの動きなんかはずいぶん不気味に感じさせるものがあった。

007といえば秘密兵器なイメージがあったんだけど、それの登場も近作からなのか。とはいえ、僕のわずかな記憶のなかにあるようなSFじみたものでなく、当時でも十分実現できたのではないかと思えるような牧歌的なものだけど。

そしてボンドガール。ドクターノオでは中盤まであっちいってこっちいってな感じだったけど、今作ではヒーロー、ヒロインの構造が物語のごく始まりの部分ではっきりと作られている。僕の007に対するイメージが正しいのであれば、2作目の時点で007のギミックの根幹が完成したのではないだろうかと思える。

しかしタチアナは凄い美人だね。どことなくハーフタレントのローラに似てるかも。
目鼻立ちがハッキリしてるからそう見えるだけだろうか。

ドクター・ノオ

出来るだけベタなやつをどんどん見ていこうという作戦。
多分見たことあるはずなんだけど、全く覚えてない。
ところどころ、なんか見たことあるような気がするシーンが。

007シリーズ映画化第一作目、原作小説としては6作目、らしい。
1962年公開、ボンド役はショーン・コネリー。
年数と合わせると、こんな実はこんなふるい俳優だったのか!みたいな変な驚きがある。映画を良く見るような人からすると、当たり前のことなのかもしれないけど……若い頃の映像の方が良く見てるからなんだろうか。

パッとした感じたことといえば全体としてシンプルなこと。
ストーリーの流れやギミック、登場するガジェット、登場人物のキャラクター、どれもシンプル。敵なのか味方なのかもすごく分かりやすい。ホテルのフロントのねーちゃんが怪しい表情したのだけは、良く分からなかったけど。
このシンプルさは時代から来てるものなのだろうか。今後いろいろ見ていけば気付くこともあるかもしれない。
しかしこのストーリー、現代だからこそわかるヤバさがある。ロケットは飛んでも、爆発させたりしたら放射能汚染でそれどころじゃなくなるぞ。

それにしてもこれ、50年以上前の作品だけど、映像にしても音声にしても、まったく気にならんもんだね。カラーだし。もっとずっと見難いイメージを持ってたんだけど。