スター・ウォーズ エピソードIV 新たなる希望

完全に失敗した。結局スケジュールが常にギリギリで、帰省以来ほぼ映画を見れておらず、見ていても感想を書く体力的余裕がなかった。

とにかく、見た映画の感想を書いていく。

確か見たのは21日。
実はこの休み期間中に、全く今まで見ていなかったスター・ウォーズをシリーズすべて見ようと思っていたのだけど、今のところ見たのはこの一作だけだ。

1978年日本公開、監督はジョージ・ルーカス(言うまでもなく!)
出演者で、僕がまともに知ってるのはハン・ソロ役のハリソン・フォードのみ。ルーク・スカイウォーカー役のマーク・ハミルって全然知らないのですけど、調べるとこないだ見たゼイリブのジョン・カーペンター監督作である光る眼という作品にも出てますね。あとぼくの知ってるのだと強殖装甲ガイバーの実写版とか。漫画から入って中学生くらいのときにレンタルで見た記憶がありますが、かなりの糞映画だったような……

スター・ウォーズを見ようと思ったのはまあメジャーの代名詞みたいな映画というのもあるのですけど、僕の会社の上司がこれのファンで、続編公開なんかも決まったこともあり、ひたすらこれの話をしているからというのもあります。ただ基本的に馬鹿映画、今見てもたいした事ないとも言っておられました。

実際、見てみるとまあたいした事ないですね。SFという人もおるようですが、僕の中ではこれは結構微妙なラインでアドベンチャー映画の性質の方がずっと強く感じます。まあ、それは置いておくにしてもSFはSFでもかなりのご都合主義ですね。オープニングでC-3POとR2-D2が銃弾の中をとろとろと歩いて全くの無事であるところからも見て取れます。

ただこの作品はその公開された1977年当時を考えると、ある種のオーパーツのような映画であるとも思えます。まずいちばん大きい点は映像ですが、これはもうこの2010年代も半ばの現代に出しても全く遜色のない絵作り、VFXだと思いました。
もちろん違和感は多々感じる部分はあるものの、酷い話「いまの国産映画のVFXのレベルがこんなもんじゃないの」と思ってしまう程度には。まあいまの国産映画を見ていないので凄く適当なことを言ってるんですけど……

当時見た人たちは相当度肝を抜かれたであろうことは想像に難くないです。ただ時々いる、スター・ウォーズで日本はSFに出会ったとか言ってる人はさすがにアホだと思いますが……

大体そんな感じの感想。

あ、あとレイア姫がゴリ不細工で見るのがちょっと苦痛でした。エピソードVはそれが原因で序盤10分くらいで投げちゃった。

博士の異常な愛情

正式なタイトルは、博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか

…ながい!

ということで1964年公開、スタンリー・キューブリック監督、脚本。
なお、この記事を書いているのは9月21日だけど、みたのは19日。東京から京都への新幹線の中。となりに座ってた女の子が結構かわいかった&無防備だったっていうどうでもいい感じのことを付記しておく。

一人の将軍の暴走により、世界が破滅へとすすむ様子を、どこか喜劇的に描いている。
しかし公開時は完全な冷戦下だ。しかも公開の2年前にはキューバ危機があり、実際に世界が破滅寸前であったことを考えると、あのエンディングは正直まったく笑えなかったのではないだろうか。
そうとうにブラックであるし、また登場人物の描かれ方などからも、戦争や政治などに対する痛烈な風刺と批判が見て取れた。

この時代のモノクロ映像のすばらしいところは、カラーと比べて映像の粒度が高く美しく、また合成が違和感なくみれるということだと思う。時代背景もあり、リアリティも増す。

タイトル、オープニングの映像もすごくいい。現代において逆に新しい表現になっているといってもいいだろう。あの手書きの文字のジャンプ率等のバランス、細さの感覚もすごくいいし、それが作品の雰囲気ともあっていて、単純にデザイナーとしてあこがれる部分のある表現だと思う。(※僕の本職はおもに雑誌の誌面を作っているデザイナーなのです)

あとから調べて、主演のピーター・セラーズは一人で三役をこなしていた(しかも端役はいない!)ということを知り、それにまったく気づかなかったので大変驚いた。現代においてそれほどの俳優って、どれほどいるのだろうか。

そういえばストレンジラブ博士をはじめてみたとき、僕は大変失礼ながらホーキング博士を思い浮かべてしまった。実際ホーキング博士はこの映画の公開前年(製作中の1963年)にブラックホールの特異点定理を発表し、世界的に有名になったとある。年数の一致に関しては今調べてわかったことではあるのだけど……

しかしWikipediaによると、諸説あるモデルの人物にあがっていないので全然関係ないのかもしれない。

実はキューブリック作品ははじめてみたんだけど、なかなか僕好みな作品だった。ほかの作品もそのうち見ようと思う。

ゼイリブ

以前会社で先輩がちょろっと話題に出してたので視聴。

1988年公開のSF。監督はジョン・カーペンター。
遊星からの物体Xの人ですね。映画をあまり見ない僕としては珍しく、そっちは大好きな映画で何度か視聴してる。
世間的には透明人間とかの方がタイトルとしては有名なのかな。これは今度近いうちに見るつもり。

ゼイリブははじめてみたけど、これも結構ごりごりのSFですね。こういうひそかに侵略されてるって話は内容としては(SF的には)かなりベタで、古くはハインラインの「人形つかい」(1951年)とかがありますね。あとはウルトラセブンのフック星人の回とか(ウルトラシリーズには他にもあった気もするが…)

Wikipediaによるとレイ・ネルソンの「朝の八時」が原案と書いてあるけど、これはどういう作品なのかは僕は知らない。

ぼくの読んだ中で比較的最近のだとウェン・スペンサーの「エイリアン・テイスト」なんかがそうか。(すでに邦訳版刊行から8年が経っていることを知り、驚愕しました)この作者の小説は結構面白かったのに3冊しか邦訳されてなくて結構悲しい。

話がそれた。

ストーリーとしてはかなり短い。まあ実際約90分の映画なので短めなんだけど、ストーリー的にはどうでもいいようなところで尺を取ったりしてるし、恐らく作中時間でも、まあ長くて1週間とかその程度の期間だろう。主人公の死と、最後に起こした抵抗による結果を持って物語は終わるわけだけど、その世界がその後どうなるかまでは描かれていない。

それ自体はよしあしなんだけど、きっと売れたら続編が作れるようにしたんだろうなーなんていやなことを考えてしまう。

あとはやっぱり今まで映画を見ていて気付いた傾向だけど、その時々の世俗を如実に反映してるなってのが分かる。
公開年の88年は、日本こそバブルの真っ最中ではあったけれど、アメリカでは前年の87年にかのブラックマンデーがおこっていたし、80年代というのは広告戦略が非常に進化した時代でもある。

いまの時代からしても当てはまる部分は凄くあって、特にインターネットの普及により、その傾向はより強くなっているように思える。老若関係なくただのうわさ、デマにながされている様子や、自身の利益のために扇動したり、害をなしたりしてる姿はまさに作中のエイリアンと同じだろう。

しかし最後のシーン、とりあえずおっぱい出しとけ見たいなのはなんなのよ。

バーバレラ

いやあ、バカ映画だった!

1968年公開のSF。コメディSF?いやそもそもSFってつけていいレベルかこれ。
原作があって、Wikipediaによると「漫画史において重要な作品」らしいが……

ツタヤに行ったらなんか著名人が影響を受けたんだか、好きなんだか、はっきりと覚えてないんだけど、とにかくそんな感じで映画を紹介するコーナーがあったんだけど、そこでMGSシリーズの小島監督が紹介してたうちの一つがコレ。作品タイトル自体はなんかのときに見たんだけど、なんだったかな。

映像は当時の特撮技術的にどうなのか分からないけど、けっこう雑なんじゃないかなあ。わざとなのか、そうでないのかも分からないけど……
キャラクター作りもテキトー感あふれてるし、やっぱわざとなのかな。

ストーリーもあってもなくても関係ないし、なんかもうノリと勢いとエロで乗り切ってる感じ。面白いか面白くないかでいうと、正直面白い作品ではない。けどつまんない訳でもないんだよなあ。
音楽は全体的に凄くよかった。特に空戦シーン。空戦シーンは映像としてもテンポ感が良くて、80年代~90年代前半あたりのロボットアニメに近いものを感られたかな。

最後にこの映画のいちばんの見所をあげるならどこか。多分、多くの人はセクシーシーンとかを上げる気がするんだけど、個人的にはデュラン・デュランの顔芸だとおもうんだよな。

海底2万マイル

見た。ジュール・ヴェルヌ原作、1954年公開。原作は1870年の作。

むかし子供のころに見た記憶が合ったんだけど、どうやら別作品だったようだ。もしかすると、ポセイドン・アドベンチャーかな。
映像は美しく、とても60年以上前の映画とは思えない。

原作小説は既読。だったはず。多分小学生か中学生くらいの頃だったと思うので全く記憶にはないけれど……

ヴェルヌの小説全般に言えることだけど、科学考察がすごく確りしているという特徴があり、小説の発表当時は空想科学であったものが、現代では科学になっているものが多々ある。

これに関しても原作発表当時は完全なSFであっただろうものが、映画公開時には凄く近づき、現在となっては純粋な科学映画としてすらみることが出来るんじゃないだろうか。作品としてのSF的要素のもっとも大きな点はノーチラス号の動力だろうと思うけど、恐らくこれは原子力を予示したものだろう。

実際、この映画が公開された翌年には米海軍が史上初の原子力潜水艦、その名も「ノーチラス」を完成させている。

恐らくこの映画におけるもっとも重要なシーンは、ネモ艦長がその死の間際に話す、
「未来にも希望はある。世界中の人々が、私の発明したものを正しく使う日が来るはず」
という箇所だろうか。

はじめて核が使用された第二次世界大戦から10年もたっていない時代の作品ということもあるのだろう。
しかし戦後70年、この映画が公開されてより61年。
冷戦の収束からも四半世紀余りがたち、世界が滅びるリスクは確かに減っているとはいえ、本当に「世界中の人が正しく」使えているのだろうか。